無意味かどうか。

またブログの話。

何かねたを思いつくと、あ、これ、ブログに書こう、と思って心に留めておくんだけど、いざ書くときになると忘れてたりする事が多い。

でもって書くときはなぜか(というよりもちろん、がほんとなんだろうけど)他人に語りかけるような形で書いてたりする。
誰かが読んでるだろうということを前提にして書くんだから、それであたりまえなんだろうけど、もしかしたら誰も読んでないかもしれないわけで、そう思うと、ブログの存在って奇妙…。

私の場合日記代わりに書いてるといえばそれもあるんだけど、大体において、なぜ書くのか?ねたになるって思う理由は、誰かが読んでることを前提にして書いてるわけだ。
つまり、他人がみてるかも知れないという事は常に意識してるわけで。そういう点では日記とはまったく違うわけで。

英語だと、日記を書くとき、dear diaryと書きだす。
単に今日こんな事が起こった、という独り言であるより、日記相手に今日の出来事や感じた事を語るのだろうか?

私は英語で正しく(?)日記を書いたことがないし、もちろん読んだ事もないので(映画とかテレビ以外で見かける以外では)、どういう心理で彼らが日記を書くのかわからないけど、誰かに語りかけるという点では、似た心理なのかな。単に誰も読まない(という希望)を前提にしてるだけで。

あ、でも、最近読んだ事に似たようなことがあった…。

糸井重里さんがやってるほぼ日と言うサイトで年末に日記帳を売っていた。そのコンセプトというのが、何でもいいから毎日何かあったことを書く、って事だったような。
で、半年たった今(早いなあ)、糸井さん本人が、使ってる現状報告(というか感想?)みたいなものを書いていて、そこに「書いたことは全部未来に自分に当てて書いたもの」といってるんですよ。
だから書くときも、あとで自分に役に立ちそうだな、とか、未来の自分が好きそうだな(笑)、とかそういう視点で書いてる、と。

それはそれで面白いよなあ。まあ、私の場合後になって自分がこれを全部読むかどうかなんてわからないけどね(笑)。興味深いと思うより、「うわーーー、こんなこと書いてるよ!恥ずかしい!」と思うほうが多いんじゃないかと思うな(笑)。